— Axelera AI(Metis AIPU)入門 第1回 —
「Axelera AI(アクセレラエーアイ)」という名前を、最近どこかで目にした方もいるかもしれません。欧州発のAI半導体スタートアップで、エッジ向けのAIプロセッサ「Metis AIPU」を開発しています。日本市場ではまだ知名度が高いとは言えませんが、エッジAIの世界では確実に存在感を増している企業です。
本記事から全3回のシリーズで、このAxelera AIとMetis AIPUを取り上げます。第1回となる今回は、「そもそもAxelera AIとは何か」「Metis AIPUは技術的に何が新しいのか」を、エッジAI導入を検討する技術者の視点で整理します。
1. Axelera AIとはどんな企業か
Axelera AIは、2021年にオランダで設立されたAI半導体スタートアップです。本社はアイントホーフェン(オランダ)に置き、スイス・ベルギー・英国・イタリアなど欧州各地と米国に拠点を持ちます。世界最高水準のマイクロエレクトロニクス研究機関であるimec、およびBitfuryグループのインキュベーションから生まれた企業で、「AIの民主化(AI democratization)」を掲げ、エッジ向けの高性能・低消費電力なAIアクセラレータの開発に取り組んでいます。
設立から数年の若い企業ですが、AI・コンパイラ・VLSI設計の専門家を多数擁し、Samsung、BlackRock、欧州イノベーション評議会(EIC)などから累計4.5億米ドルを超える資金を調達しています。スタートアップでありながら、半導体という資本集約的な領域で量産にたどり着いている点が、この分野では一つの特徴と言えます。
2. エッジAIが抱えてきた「電力とコストの壁」
製造ラインの外観検査、多拠点の監視カメラ、デジタルサイネージ。「AIをクラウドではなく現場(オンプレミス)で動かしたい」というニーズは、近年急速に高まっています。クラウドに映像を送らずに済めば、通信遅延もデータ流出のリスクも抑えられるためです。
しかし、現場でAIを動かそうとすると課題に突き当たります。高い推論性能を求めてGPUを使うと、消費電力と発熱、そしてランニングコストが現場運用の重荷になります。逆に省電力なデバイスを選ぶと、扱えるモデルや同時処理できるカメラ台数が限られてしまう。「小型・低消費電力・高性能」を同時に満たすことが、エッジAIの長年の難所でした。
3. 核心は「メモリウォール問題」をどう解くか
この難所の技術的な正体が、メモリウォール問題です。
AI推論で最も多く行われる演算は「行列-ベクトル積」です。この演算では、学習済みモデルの膨大な重みデータを、メモリ(DRAM)と演算ユニットの間で何度も往復させる必要があります。問題は、このデータの移動そのものが、計算以上に電力と時間を消費するという点です。演算器をいくら速くしても、データの行き来が追いつかなければ性能は頭打ちになり、消費電力ばかりが増えていく——これがメモリウォールと呼ばれる構造的な壁です。
従来のCPU・GPUは、計算する場所(演算ユニット)とデータを置く場所(メモリ)が分かれているため、この往復から逃れられません。発想を転換する必要があります。
4. Metis AIPUのD-IMCアーキテクチャ
Axelera AIのMetis AIPUが採用するのが、D-IMC(Digital In-Memory Computing:デジタル・インメモリ・コンピューティング)というアーキテクチャです。
考え方はシンプルです。データをメモリから演算ユニットへ運んで計算するのではなく、メモリセルの内部で直接、演算を実行してしまう。行列-ベクトル積をメモリ内で処理することで、最大のボトルネックであったデータ移動を最小化します。これにより、低消費電力と高スループットを同時に達成しようというのがD-IMCの狙いです。
Metis AIPUは、このD-IMCに加えてオープンな命令セットであるRISC-Vを組み合わせた設計を採っています。チップ内には独立して動作する複数のAIコアが搭載され、それぞれが別のモデルや別のカメラ映像を並列に処理できる構造になっています。1つのチップで複数のAIモデル・複数の映像ストリームを同時に走らせられる点は、現場の映像AIで効いてくる特性です。

5. 「214 TOPS」と低消費電力の意味
Metis AIPUのカタログ性能は、AI推論性能で214 TOPS(1秒あたり214兆回の演算)に達します。一方で、AIPUコアの典型的な消費電力は数ワット級と非常に低く抑えられています。この「高い性能を、わずかな電力で」という両立こそが、D-IMCがもたらす最大の価値です。
もう一つ、実務上で見落とせないのが精度です。エッジ向けのAIアクセラレータは、処理を高速化・省電力化するためにINT8(8ビット整数)演算を使うのが一般的です。ただしINT8化は、扱い方を誤るとモデルの精度低下を招き、場合によっては作り直し(再学習)が必要になることもあります。Metis AIPUは、INT8で動かしながらも元のモデルに近い精度を維持できる設計を売りにしており、「速度と引き換えに精度を諦める」というエッジAIにありがちなトレードオフを緩和しようとしています。
6. ハードだけでなく「ソフトウェア」まで含めて提供する
AIアクセラレータは、チップが速いだけでは現場で使えません。学習済みモデルをそのチップ向けに変換・最適化し、アプリケーションに組み込むまでの開発フローが整っていて初めて実用になります。
Axelera AIは、Metis AIPU向けにVoyager SDKという統合ソフトウェアスタックを提供しています。PyTorch・ONNX(TensorFlowはONNX経由)で学習したモデルを取り込み、Metis AIPU向けに最適化・デプロイできるよう設計されています。導入はDockerコンテナでも、Ubuntu 24.04へのネイティブインストールでも可能です(最新のv1.5でネイティブインストール対応が加わり、Dockerは必須ではなくなりました)。Windows環境ではWSL2上のUbuntu経由で利用できます。サンプルモデル集(Model Zoo)やGStreamerベースの映像パイプライン構築の仕組みも備えています。このソフトウェア側の作り込みについては、本シリーズの第2回・第3回で実際の流れを追っていきます。
7. エッジネイティブな製品形態
Metis AIPUは、用途に応じて複数の形態で提供されています。省スペースが最優先の組み込み機器向けのM.2モジュール、エッジサーバーに挿して使うPCIeカード、そしてそのまま使える一体型のボードなど、現場の設置条件にあわせて選べるラインアップが揃っています。「評価して終わり」ではなく、すぐに現場へ設置できる形で手に入る点が、エッジネイティブを掲げる同社らしい設計思想です。
8. AnalogTech(アナログ・テック)での採用
アナログ・テックは、このMetis AIPUを搭載したコンパクトAI PC「AIR-AD-AI-001」を、エッジAIコンピューティングシリーズ「AironiA(アイロニア)」の新モデルとして提供しています。約5リットルの小型筐体に214 TOPSのAI推論性能を凝縮し、複数チャンネルの映像をリアルタイムでAI解析できる構成です。当社は、この新しいAIプロセッサ Metis AIPU を採用した自社製品を、いち早く提供しています。
「使いたいAIモデルや既存資産」「処理性能」「消費電力」のどれを優先するかによって、最適なエッジAIの構成は変わります。Axelera AIは、その選択肢を一つ広げる存在として注目に値します。
おわりに
整理すると、Axelera AIのMetis AIPUのポイントは次の3点です。第一に、メモリウォール問題をD-IMC(メモリ内演算)で正面から解こうとしていること。第二に、214 TOPSの性能を低消費電力で、かつ精度を保ちながら実現しようとしていること。第三に、Voyager SDKという開発環境まで含めて提供し、学習済みモデルをそのまま現場へ運べるようにしていること。
次回(第2回)では、このMetis AIPUを実際に動かす最初のステップとして、Voyager SDKの環境構築と導入の流れを整理します。
本記事のシリーズ
-
第1回:Axelera AI(Metis AIPU)とは何か? ─ メモリ内演算でエッジAIを変えるD-IMCアーキテクチャ(本記事)
-
第2回:Voyager SDKで始めるMetis AIPU ─ 環境構築から最初の推論まで(近日公開)
-
第3回:学習済みモデルをMetis AIPUにデプロイする ─ 変換・最適化・推論の流れ(近日公開)